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キープって何ですか?

キープって何ですか?
キープの創設者である米国人ポール・ラッシュは、第2次世界大戦で破綻した日本を再建するため、八ヶ岳山麓の農村をモデルに、酪農を中心とした高冷地農業を全国に広めました。この事業は清里を拠点に、Kiyosato Educational Experiment Project (清里教育実験計画)命名され、その頭文字をとってKEEP(キープ)としました。
 
財団法人キープ協会は、「食糧」「保健」「信仰」「青年への希望」という4つの理念を掲げ、北海道から九州まで、日本人が、自らの土地で豊かに暮らせるよう自立への援助を繰り広げたのです。清里には高冷地実験農場、農村診療所、農民図書館、農業学校、そして神様に大地の恵みへの感謝と平和を祈念するための教会などが次々に建設され、全国の農民のための「モデル農村センター」となりました。
 
実験農場や学校では、全国から酪農研修者を受け入れ、また、全国に酪農指導者を派遣して、積極的な普及活動を行いました。その成果は昭和29年、酪農振興法の制定、世界銀行借款による乳牛の貸与制度を導き、日本の高冷地を乳の流れる沃野に変えていったのです。
 
ポール・ラッシュが築いた民衆の自助努力に対する援助の思想は、米国議会において海外援助のモデルとして取り上げられるところとなりました。その後米国のケネディ政権時代に「青年平和部隊」の国際交流事業につながり、キープでは「ケネディ大統領記念グラウンド」を清里に建設し、そのケネディ大統領の功績を称えております。
 
このプロジェクトに必要な資金は、博士の理想に共鳴した米国、カナダの市民が物心両面から支えました。キープ協会米国委員会=ACK、American Committee for KEEP(本部・米国イリノイ州)は、昭和25年設立され、その理念を以下のように掲げております。
 
ACK」は、キリスト教信仰に基づき、キープ創立者ポール・ラッシュの理想を継承し、人々の国際相互理解の橋をかけ、異なる文化をつなげることにより世界平和を推進する」。この理念に基づき、ACKは、現在もキープ協会への無償の資金技術援助を続けております。その累計は金額換算でおよそ100億円以上に達すると推定されております。
 
キープの事業は、ポール・ラッシュによる昭和13年の清里・清泉寮建設を起源とし、世界大戦を超えて、現在も日米の市民の献金や様々な奉仕活動により守られております。「国際協働」ということを考えるとき、清里ひいては八ヶ岳山麓ほど厚い歴史を有するところは、日本中に決してないと考えます。米国議会においては「キープは米国民の誇りであり、民間国際協力の奇跡」(1960年、ウオルター・ジャッド上院議員によるスピーチ)とも言われております。
 
また、地元の山梨県庁では昭和12年から歴代知事が博士のビジョンに賛同し、JR清里駅前から八ヶ岳横断道までの県有地約240haをキープに貸与し、事業の展開をサポートしております。 日本人が豊かに自立した現在、キープは、ポール・ラッシュの掲げた「人類への奉仕」である4つの理念を継承しつつ、新たに「環境教育」と「国際協力」を加えた6つのビジョンを掲げ、清泉寮や農場などさまざまな施設を運営しながら、教育と環境をめぐる実践に取り組んでいます。
 
平成19年のキープ実績では、キープ体験・研修プログラムに年間3万2000人以上が参加しました。これらの人々は、国内ばかりでなく、アメリカ、アジア、アフリカから参加し、キープで得た知識や経験をそれぞれの家庭や社会での課題解決に役立てるのです。また、100万人以上の人々がキープでの宿泊やイベントや自然散策に参加しました。
清泉寮に掲げられている「X」の意味
この「」は、「聖アンデレクロス ~聖アンデレの十字架~」と言います。イエス・キリストの弟子(12使徒)の1人であったアンデレは、迫害に遭い、キリストと同じように十字架にかけられることになってしまいました。
 
この時彼は、キリストと同じ十字架では恐れ多いからと、当時は罪人が処刑される際に用いられたX型の十字架(斜十字架)に張り付けになり殉教したのです。それ故、この十字架を聖アンデレクロスと呼ぶようになりました。
 
清泉寮は昭和13年、ポール・ラッシュ博士の導きにより日本聖徒アンデレ同胞会(Brotherfood of St.Andrew=BSA)によって建設されて以来、日本の日の丸とBSAのシンボルマークである聖アンデレクロスを、今も玄関前に掲げているのです。この旗は聖アンデレを守護聖人とするスコットランドでは国旗として使われ、ロシア海軍旗としても知られています。
清泉寮が清里に建てられたわけ
日本聖徒アンデレ同胞会(BSA)の青少年指導者訓練所(キャンプ場)を建設しようと、その候補地を探していたポール・ラッシュ博士が、その条件として考えていたのは、日本の象徴:富士山が見える場所でなければならないという事でした。それにぴたりと合った理想の場所「清里」を紹介したのは、甲府の談露館の主人である中沢さんでした。
 
建設予定地は恩賜林と言って山梨県有地となっていましたが、当時の県知事は八ヶ岳山麓の開発に先鞭をつけてもらえると喜び、キャンプ場建設のために県有地貸与の許可が出されたのです。博士は、当時教鞭をとっていた立教大学を中心とした若い学生たちと道なき道を切り開き、材木を運び、昭和13年に念願の建物を完成させました。
 
その初代清泉寮は昭和30年に焼失してしまいましたが、大勢の支援者の善意により、2年後の昭和32年に再建されました。清泉寮の前に立つポール・ラッシュ博士の銅像は、大好きだった山を毎日眺めることができるようにと富士山の方向を向いているのです。
清泉寮の名前の由来
昭和13年に完成したキャンプ場の名前は、聖書の聖句からつける、周囲の山の名前にする等いろいろな提案がありましたが、その命名は立教大学のチャペル付きだった高松司祭に依頼されました。
 
司祭はキャンプ場のある敷地が清里村(当時)と大泉村(当時)にまたがっていることから、両方の地名から一文字ずつとって「清泉寮」としてはどうかと提案しました。ポール・ラッシュ博士は、両方の頭文字をとっただけの名前に当初は不満げだったそうですが、その英語訳が「ピュア=スプリング」(清らかな泉がわき出でるキャンプ場)であることを聞くと、大いに喜んでその命名に賛成したそうです。

キープ協会のあゆみ

1897 キープ協会の創設者ポール・ラッシュ博士誕生
1925 関東大震災で崩壊した東京・横浜YMCA会館再建のため、初来日
1926 立教大学の教授として日本に留まる
1927 日本聖徒アンデレ同胞会(BSA)設立
1928 聖路加国際病院再建のため、アメリカで募金(現在価額で約100億円)
1934 日本にアメリカンフットボールを紹介(日本アメフトの父の称号)
1938 日米協会青年活動、キリスト教研修施設として清泉寮建設
1942 第二次世界大戦のため、アメリカに強制送還
1945 終戦と同時に再来日
1948 清里聖アンデレ教会完成、(高松宮様ご臨席)
1949 高冷地実験農場計画開始
1950 清里聖ルカ診療所開設
1956 キープ協会創立
1957 火事で焼失した清泉寮再建(高松宮様ご臨席)、清里聖ヨハネ保育園開設
1963 清里農業学校開設
1976 清里農業学校休止、農業海外実習生派遣プログラムへ移行
1979 12月12日 ポール・ラッシュ博士、聖路加国際病院にて逝去
1984 日本野鳥の会との協働事業、ネイチャーセンター開設
1986 環境教育事業部発足
1988 フィリピン・ツルガオ村で国際協力事業開始
1991 ビジターセンター開設(現在のファームショップ)
1994 県立八ヶ岳自然ふれあいセンター開設受託、ネイチャーセンター業務移行
1995 聖ルカ診療所業務終了
1996 ポール・ラッシュ記念センター開設(高円宮様ご臨席)
1998 やまねミュージアム開設(旧ネイチャーセンター)
1999 新農場施設建設、パン工房オープン
2000 キープ自然学校オープン(旧聖ルカ診療所改築)
2005 天皇、皇后両陛下行幸啓(紀宮様を同伴され、清泉寮、ポール・ラッシュ記念センターにてポール・ラッシュの業績を追悼)